部活動は「協調性が身につく」とよく言われます。
けれど実際の部活は、そんなに単純な場所ではありません。
勝ちたい気持ちが強い子。
そこまで勝ちにこだわらず、楽しく続けたい子。
空気を読めず、浮いているように見える子。
同じチームにいながら、目指しているものも、感じ方も違う。
だからこそ部活動の中では、衝突や摩擦が生まれます。
中学時代の部活動を振り返ってみて、
私が強く感じたのは、協調性とは「みんなと同じように振る舞う力」ではなかった、ということでした。
勝ちたい子と、合わせたい子が同じチームにいる意味。
その中で育っていた非認知能力の正体について、経験をもとに整理していきます。
部活動でよく言われる「協調性」とは何か
「みんなと同じようにすること」が協調性だと思っていた
部活動で語られる「協調性」と聞いて、
多くの人が思い浮かべるのは――
- 号令にきちんと合わせること
- 空気を読んで、波風を立てないこと
- 不満があっても我慢すること
こうした姿勢は、日本の部活動ではとても大切にされてきました。
集団行動を乱さないこと。
チームの雰囲気を壊さないこと。
私自身も長い間、
**協調性とは「みんなと同じように振る舞える力」**だと思っていました。
目立たないこと。
自分の気持ちより、場の空気を優先すること。
それができる子ほど「協調性がある」と評価されやすい――
そんな空気が、部活動には確かにありました。
でも実際の部活動は、気持ちがそろわない場だった
けれど、実際の部活動は
決して「同じ気持ちの集まり」ではありませんでした。
- 本気で勝ちたい子
- そこまで勝ちにこだわらず、楽しく続けたい子
- 技術的に引っ張る立場の子
- 練習についていくのに必死な子
技術差だけでなく、
温度差や価値観のズレは常にありました。
同じ練習をしていても、
「この一本にすべてをかけたい子」と
「みんなで無事に終わればいい子」では、見えている世界が違います。
それでも、同じチームとして動かなければならない。
気持ちはそろわないのに、目標だけは共有している。
今振り返ると、
部活動は最初から「協調的な場」だったのではなく、
協調せざるを得ない、ズレだらけの場だったのだと思います。
だからこそ、
「みんなと同じようにする」だけでは、うまくいかない場面も多くありました。
ここから先で見えてきたのは、
協調性とは我慢ではなく、
違う気持ちを抱えた人たちの中で、どう関係をつくるかという力だった、ということです。
勝ちたい子・合わせたい子が同じチームにいる現実
部活動の現場は、最初から気持ちがそろっている集団ではありません。
同じユニフォームを着ていても、目指しているものや温度感は、実は一人ひとり違っていました。
「とにかく勝ちたい」
「勝てたらうれしいけれど、楽しくやれたらそれでいい」
「できれば目立たず、波風を立てずに過ごしたい」
そうした違う思いを抱えた子どもたちが、同じコートに立ち、同じ時間を過ごす。
それが、私の中学時代の部活動の実際の姿でした。
県ナンバーワンペアがいたチームの空気
私たちのソフトテニス部のチームには、県内でも群を抜いて強い、ナンバーワンのペアがいました。
技術も安定感もあり、試合では自然と周囲の空気を引き締める存在でした。
その存在は、間違いなくチーム全体を引き上げていました。
練習の質が上がり、「ここまでやらないと勝てない」という基準が、自然と共有されていったのです。
「勝ちたい」という気持ちは、決して一部の子だけのものではありませんでした。
強い子がいるからこそ、
「自分ももう少し頑張ってみよう」
「負けたくない」
そんな思いが、少しずつ周囲にも広がっていきました。
勝ちへの執着は、チームをギスギスさせるものだと思われがちですが、
この時点ではむしろ、全体の技術力と意識を底上げする原動力でもあったと感じています。
勝気な前衛の子が生んだ“摩擦”
一方で、その「勝ちたい」という気持ちは、常にきれいな形で表れるわけではありませんでした。
特に印象に残っているのが、勝気な前衛の子の存在です。
ミスが続くと苛立ちが表に出て、
ボール出しの際に強く打ってしまったり、
言葉にはしなくても、空気が一気にピリつく瞬間がありました。
その空気に、周囲は少しずつ萎縮していきました。
「失敗できない」
「また機嫌を悪くさせてしまうかもしれない」
そんな緊張感が、コートの中に広がることもありました。
その結果、その子は
「協調性がない子」
「空気を乱す存在」
として、どこか浮いたように見られていたと思います。
当時の私は、その状況をどうすることもできず、ただ見守ることしかできませんでした。
注意する立場でもなく、まとめる役でもなく、
ただ同じチームの一員として、その摩擦を感じ取っていただけでした。
このように、部活動の中にあったのは
きれいに整った協調性ではなく、気持ちのズレと摩擦を抱えた集団でした。
そして、この「うまくいかなさ」こそが、
あとから振り返ったとき、非認知能力という視点で考え直す土台になっていきます。
今振り返ってわかる、その子のすごさ
当時は、正直に言えば「扱いにくい子」「空気を乱す子」という印象の方が強かったと思います。
チームの雰囲気を悪くする存在として、無意識に距離を取られていた場面もありました。
けれど、今振り返ると、あの子の存在がなければ、
あのチームが同じ場所までたどり着けたかは分かりません。
時間を置いて初めて、
「協調性がない」の一言で片付けてしまっていたものの中に、
本来評価されるべき力があったことに気づきました。
勝ちたい気持ちは、チームを前に進める力でもあった
あの子の「勝ちたい」という気持ちは、とても強く、そして分かりやすいものでした。
妥協せず、練習の一球一球にこだわり、
「ここまでやらなければ勝てない」という基準を、言葉ではなく行動で示していました。
その姿勢は、ときに周囲にプレッシャーを与えましたが、
同時に、チーム全体の水準を引き上げていたのも事実です。
「そこまでやらなくてもいいのでは」
という空気が流れがちな場面でも、
あの子は一貫して、自分の基準を下げませんでした。
結果として、
その姿勢に引き上げられるように、
周囲の練習量や集中度も、少しずつ変わっていったように思います。
勝ちたい気持ちは、衝突を生むこともあります。
けれどそれは同時に、
チームを停滞させないための、強い推進力でもありました。
周りがやらないことに挑戦する勇気
もう一つ、今になって強く感じるのは、
あの子が「周りと違う選択」を恐れなかったことです。
サーブの新しいやり方に挑戦したとき、
チームの中には、
「わざわざ目立たなくてもいい」
「変なことをして失敗したらどうするのか」
そんな空気が確かにありました。
それでもあの子は、周囲の視線よりも、
「どうすれば勝てるか」「どうすれば強くなれるか」を優先しました。
今思えば、それは技術の問題以前に、
周囲と違う行動を取る勇気だったのだと思います。
当時は、その挑戦がチームワークを乱すように見えました。
けれど今は、
その姿勢こそが、個としての強さであり、
集団に新しい選択肢を持ち込む力だったのだと感じます。
協調性は「我慢」ではなく「折り合いをつける力」
部活動で語られる協調性は、
しばしば「我慢する力」「空気を読む力」と同一視されがちです。
けれど、実際のチームの中で機能していたのは、
誰かが黙って耐えることではありませんでした。
意見の違いをなかったことにせず、
ぶつかり合いながらも、どう扱うかを探る。
その積み重ねこそが、当時のチームを前に進めていたと感じています。
キャプテンの存在が、調整役になっていた
印象的だったのは、キャプテンの立ち位置です。
勝ちたい気持ちが強い子と、
全体の雰囲気やバランスを大切にしたいメンバー。
その間に立ち、両方の思いを受け止めていました。
誰かの主張を頭ごなしに否定することはなく、
一方で、問題を無理に“消す”こともしませんでした。
「今、何が起きているのか」
「どうすれば、チームとして前に進めるのか」
感情を押し込めるのではなく、
課題として扱う。
その姿勢が、チーム全体に共有されていったように思います。
結果として、
自己主張の強い子も、
周囲に合わせたい子も、
それぞれの立場のまま、チームに居続けることができていました。
自分とは違う意見がある中で、最適解を探すということ
協調性とは、
誰かが折れることでも、
多数派に合わせることでもありません。
意見が違うまま、
それでも「どうするか」を考え続ける力。
それが、部活動の中で私が目にしていた協調性でした。
勝ちたい人がいる。
空気を大事にしたい人がいる。
目立たず役割を果たしたい人もいる。
そのどれかを正解にするのではなく、
共存したまま、次の一手を探す。
その過程そのものが、チームの前進につながっていました。
当時は気づきませんでしたが、
この感覚は、
社会に出てからの人間関係や仕事の場面でも、何度も役立っています。
正解が一つでない状況で、
人と折り合いをつけながら前に進む。
それは、教科書では学べない、実践的な非認知能力だったのだと思います。
部活動で育っていた、協調性以外の非認知能力
部活動を振り返ると、
私が身につけていたのは「協調性」だけではなかったと感じます。
むしろ、協調性を成り立たせるために、
いくつもの力が同時に使われ、鍛えられていました。
それらは目立たず、評価もされにくいけれど、
確かにその後の人間関係や社会生活の土台になっています。
摩擦の中で育つコミュニケーション力
チームの中には、常に空気の揺れがありました。
誰かのミスで張り詰める瞬間。
勝った直後の高揚感。
何も言わなくても伝わってくる、微妙な温度差。
私はどちらかというと、
前に出て場を動かすタイプではなく、
周囲の変化を感じ取る側にいました。
声のトーン、表情、動きの速さ。
言葉にならないサインを読み取り、
「今は踏み込まない方がいい」
「今なら話しかけても大丈夫そう」
そんな判断を無意識に繰り返していたと思います。
こうした経験を通して育ったのは、
話す力よりも、感じ取る力でした。
相手の状態を察し、距離を調整する。
それもまた、立派なコミュニケーション力だったのだと、今は思います。
衝突があるからこそ身につく問題解決力
部活動では、人間関係の問題が自然に消えることはありませんでした。
誰かが不満を抱えたまま練習が続くこともあれば、
チームの雰囲気が重くなり、パフォーマンスに影響することもありました。
そのたびに求められたのは、
「どうやって収めるか」という視点でした。
直接話すのか。
間に入る人を立てるのか。
あえて時間を置くのか。
正解は一つではなく、
状況に応じて選び続ける必要がありました。
人間関係を壊さず、
それでもチームとして機能し続ける。
そのための工夫を、
私たちは実体験の中で学んでいたのだと思います。
問題をなかったことにするのではなく、
どう扱えば前に進めるかを考える。
この力は、部活動という小さな社会で培われた、
実践的な問題解決力でした。
「浮いているように見える子」が学んでいること
集団の中で、
どこか馴染めていないように見える子がいます。
周りと歩調が合わなかったり、
空気を読まない行動をしたり、
ときには「協調性がない」と評価されてしまうこともあります。
けれど、部活動を振り返って思うのは、
その見え方だけで、その子の学びを判断してしまうのは早い、ということです。
その子は、協調性がないのではない
集団に馴染まないように見える子は、
協調性が欠けているのではなく、
協調の仕方が、周囲と違うだけなのかもしれません。
勝ちたい気持ちが強い。
納得できないことを流せない。
周囲が避ける選択にも、あえて挑戦する。
そうした姿勢は、ときに摩擦を生みますが、
同時に、集団に新しい視点を持ち込む存在でもあります。
実際、私のいたチームでも、
そうした子がいたからこそ、
練習の質が上がり、考え方の幅が広がった場面がありました。
全員が同じ価値観で動く集団よりも、
違う考えを持つ人がいる集団の方が、
結果的に強くなることもあります。
親として知っておきたい視点
もし、将来わが子が
部活動や学校で人間関係に悩んだとき。
「合わせられない=失敗」
「浮いている=問題がある」
そう短絡的に結論づけなくてもいいのだと思います。
大切なのは、
今うまくやれているかどうかだけでなく、
その経験が、どんな力につながっていくのかを見る視点です。
親ができることは、
すべてを解決してあげることではありません。
最終的に答えを出し、乗り越えていくのは、本人です。
けれど、
困ったときに立ち止まり、言葉にできる場所を用意すること。
一緒に状況を整理し、選択肢を考えること。
「いつでも相談していい」という安心感を持たせること。
それは、親だからこそできる、大切な関わりだと感じています。
まとめ:部活動で学べる協調性とは
部活動で学べる協調性は、
「みんなと同じように振る舞う力」ではありません。
自分とは違う意見や気持ちを持つ人たちがいる中で、
その違いをなかったことにせず、
どう折り合いをつけていくかを考え続ける力。
勝ちたい子もいれば、
周囲との調和を大切にしたい子もいる。
そのどちらかが正解なのではなく、
両方がいるからこそ、チームは前に進めていたのだと思います。
協調性とは、我慢や同調ではなく、
違いを抱えたまま、最適な形を探し続ける思考のプロセス。
部活動は、その力を実体験として学べる場だったのかもしれません。
部活動で見えてきた協調性は、
非認知能力のほんの一部にすぎません。
双子育児の中で感じてきた非認知能力については、
こちらの記事で全体像を整理しています。
👉 双子の非認知能力とは?3歳から意識したい10の力と家庭でできる関わり方
部活動で育つ力を考えた上で、
「それでも参加する/しないをどう選ぶか」は別の問いです。
部活動の必要性そのものについては、
こちらで整理しています。
👉 部活動は本当に必要?メリット・デメリットを整理して考える

