部活動は本当に必要?― 非認知能力は「強さ」だけじゃない。厳しい部活で私が得たものと失ったもの。

強くなったはずなのに、どこか自信が持てない。
高校の部活動を振り返ったとき、今も心に残る感覚です。

「部活動は、本当に必要なのだろうか。」

教員の働き方改革や地域移行が進む中で、
そんな疑問を抱く親は、以前より確実に増えていると感じます。

厳しい指導は、今の時代に合っているのか。
部活動でしか育たない力はあるのか。
それとも、無理をさせず別の選択肢を探した方がいいのか。

私自身、中学・高校と部活動を経験してきました。
中学では県大会団体優勝。
高校では競技を変え、インターハイで全国6位という結果を残しています。

ただ、結果とは裏腹に、
高校の部活動については今でも複雑な感情が残っています。
成長できたことも確か。
一方で、削られた感覚があったのも事実です。

この記事では、
「部活動は必要か?」という問いに、白黒をつけるのではなく
部活動で育った非認知能力と、育たなかった力の両方
を、
私自身の経験をもとに整理していきます。

今、目の前の子どもにとって
何を守り、何を育てたいのか。
その判断を考えるヒントになれば幸いです。

まずは、部活動がどのような背景で見直されているのか。
「部活動は必要か?」と悩む親が増えている理由から整理していきます。

「部活動は必要か?」と悩む親が増えている理由

 近年、「部活動は本当に必要なのか」と悩む親が増えています。
それは決して、部活動の価値が下がったからではありません。
部活動を取り巻く環境そのものが、大きく変化しているからです。

教員の働き方改革と部活動の縮小

 これまでの部活動は、教員の献身的な労働によって支えられてきました。
放課後や休日を返上し、時には私生活を削って指導にあたる――
そうした姿を、多くの親世代は実際に目にしてきたと思います。

しかし、長時間労働が常態化した教育現場は、
今や社会的にも問題視されるようになりました。
教員の働き方改革が進む中で、
「部活動を学校が担い続けるのは限界ではないか」という声が
現実的な議論として広がっています。

その結果、部活動の時間短縮や廃止、
外部指導者への委託といった動きが各地で進んでいます。

地域移行が進む背景

部活動の地域移行は、
教員の負担軽減という観点では、非常に合理的な施策です。

専門性の高い指導者から学べる
学校外の人間関係に触れられる
柔軟な運営が可能になる

こうしたメリットも確かにあります。

一方で、
「費用負担はどうなるのか」
「家庭の事情で参加できない子はどうするのか」
といった、新たな課題も生まれています。

学校という“誰にでも開かれた場”で行われていた部活動が、
地域や家庭の状況によって左右される存在になりつつある。
この変化に、戸惑いを覚える親は少なくありません。

親が感じる違和感と不安

(続けさせない選択は、本当に子どものため?)

親が悩む本質は、制度の話だけではありません。

  • 部活動がなくなったら、子どもは何を学ぶのか
  • 忍耐力や協調性は、どこで育つのか
  • 厳しい経験を避けることは、本当に優しさなのか

こうした問いが、心の奥に残ります。

一方で、
過度に厳しい指導や、心身を追い詰める環境が
問題になってきたのも事実
です。

「無理をさせないほうがいい」
「合わなければ離れてもいい」

そう頭では理解していても、
“続けさせない選択”が、子どもの将来にとって正しいのか
確信を持てない――
それが、多くの親が感じている違和感ではないでしょうか。

この迷いこそが、
「部活動は必要か?」という検索につながっています。

私が部活動で得たもの|非認知能力としての「強さ」

 私は中学・高校と部活動を経験してきました。
競技は違えど、どちらも本気で取り組んだ時間です。

中学では、ソフトテニスで県大会団体優勝。
高校では競技を変え、マイナー競技ながらインターハイ6位という結果を残しました。

今振り返ると、部活動という「イベント」は、人生の中でも突出して成長できる活動だったと感じています。
技術面だけでなく、心の使い方、人との関わり方、自分の立ち位置。
教科書では学べないことを、日々突きつけられる場所でした。

ただし、高校の部活動については、少し複雑な思いも残っています。

厳しい環境で身についた、やり抜く力と踏ん張る力

 「満足するな」の一言で、心が折れた瞬間

高校のインターハイ。
ベスト8に入り、試合は翌日に持ち越されました。

その夜のミーティングで、顧問の先生からかけられた言葉は
「ここで満足するな」。

指導者として、勝ちを目指す上での言葉だったのだと思います。
今なら、その意図も理解できます。

ただ当時の私は、その瞬間に心が折れてしまったのだと、今になって気づきました。

それ以降、
「もっと勝ちたい」
「上を目指したい」
という気持ちよりも、

「どうすれば怒られないか」
「どうすれば期待を裏切らずに済むか」

そんな感情が前に出るようになっていた気がします。

社会に出てから役立っている力、残っている影

 20数年前の高校部活動は、体力的にも精神的にも非常に厳しい環境でした。
令和の感覚では、到底受け入れられない指導もあったと思います。

それでも、その環境で過ごしたからこそ、
・最後までやり抜く力
・苦しい場面で踏ん張る耐性
は、確実に身についたと感じています。

一方で、
どこかで自分に自信が持てない
「まだ足りない」と感じ続けてしまう

そんな感覚も、今の自分には残っています。

それはきっと、
自分の目標ではなく、他人の目標を生きていた時間があったからなのかもしれません。

チームの中で学んだ役割意識と人間関係

それでも、部活動は間違いなく、
人として多くを学べる場所でした。

チームには、
・圧倒的に強い選手
・伸び悩む選手
・メンタルが安定している人
・波が激しい人
さまざまなタイプがいます。

その中で、
「勝つために今、自分は何をすべきか」
「自分はどのポジションで貢献できるのか」
を考え続ける経験は、社会に出てからも活きています。

勝つために必要な「自分の立ち位置」を考える力

個人競技であっても、
団体として結果を目指す以上、自分一人だけでは完結しない
この感覚を、10代で体感できたことは大きな財産です。

「勝ちたい」から「怒られないため」へ変わった瞬間

 高校の部活動は、私に多くの力を与えてくれました。
一方で、すべての非認知能力がバランスよく育ったわけではなかったとも感じています。

結果を出していても、心の中に残った違和感。
今になって振り返ると、それは「強さ」と引き換えに失っていたものがあったからかもしれません。

成果があっても、自信が育たなかった理由

高校部活で起きた心の変化

高校3年、最後のインターハイ。
ベスト8に進出し、全国6位という結果を残しました。

客観的に見れば、十分に評価される成果です。
けれど私の心の中では、
「まだ足りない」
「これでは満足してはいけない」

という感覚が強く残っていました。

きっかけは、ベスト8に入った日の夜のミーティング。
顧問の先生からかけられた
「満足するな」という言葉です。

その言葉を境に、
私の中でモチベーションの質が変わってしまった気がします。

それまでの
「勝ちたい」
「上に行きたい」
という内側から湧いてくる気持ちは、

いつの間にか
「怒られないために」
「期待を裏切らないために」

という外側の基準へとすり替わっていきました。

外発的動機に変わったとき、何が起きたか

怒られないようにする。
失望されないように振る舞う。

この状態でも、人は努力できます。
結果も出せます。

ただその努力は、
自分を満たすためのものではなく、
誰かの基準に合わせ続ける行為
になります。

当時の私は、
「勝ちたい」ではなく
「失敗したくない」
「評価を下げたくない」
という気持ちで競技に向き合っていました。

成果があっても、自信が育たなかった理由

ベスト8・全国6位でも残った違和感

全国6位という結果を残しても、
心から「やり切った」とは思えませんでした。

それは、
自分自身が納得する評価軸を持てていなかったからだと思います。

評価は常に外から与えられるもの。
・もっと上を目指せ
・まだ足りない
・満足するな

こうした言葉が続く環境では、
「今の自分でいい」と感じる余地がほとんどありません。

結果を出しても、
「もっとできたはず」
「まだ上がある」
と言われ続けると、

人は
達成感を感じる力
自分を認める力

を育てにくくなります。

その積み重ねが、
社会に出たあとも
・自信を持ちきれない
・常に「まだ足りない」と感じてしまう
という感覚につながっている気がします。

これは能力の問題ではなく、
自己肯定感が育つ余白がなかったという構造の問題です。

👉 自己肯定感とは何か、なぜ土台として重要なのかについては
【自己肯定感の記事】で詳しく整理しています。

【双子】自己肯定感はどう育つ?3歳から意識したい「成功体験」の積み重ね方

部活動は、子どもから何を奪う可能性があるのか

ここまで、部活動が育ててくれる非認知能力について書いてきました。
ただ同時に、環境や関わり方によっては、部活動が奪ってしまう力もあると感じています。

最初に明確にしておきたいのは、
厳しさそのものが悪なのではないということです。

努力すること。
踏ん張ること。
簡単には投げ出さないこと。

これらは、子どもが成長するうえで欠かせない要素です。
問題になるのは、厳しさが一方通行になったとき
そして評価の基準が子どもの外側に固定されたときだと思います。

自分の基準で「満足する力」

部活動では、
・勝ったか負けたか
・何位だったか
・結果が出たか
といった、わかりやすい評価軸が常に存在します。

それ自体は悪いことではありません。
ただ、その評価だけがすべてになると、
「自分はどこまでできたら納得なのか」
という感覚が育ちにくくなります。

結果を出しても
「まだ足りない」
「満足するな」
と言われ続ける環境では、

子どもは
自分で自分を認めるタイミングを失ってしまいます。

挑戦を「楽しむ」感覚

本来、挑戦にはワクワクや高揚感があるはずです。
うまくいくか分からないから面白い。
だから、もう一歩踏み出せる。

しかし、
失敗=叱責
期待に応えられない=評価が下がる

という構造の中では、

挑戦は
楽しむものではなく、避けたいものに変わってしまいます。

「勝ちたい」よりも
「失敗したくない」が前に出てしまうと、
挑戦そのものが怖くなります。

これは、能力が低いからではありません。
挑戦と安心が両立しない環境に置かれているだけです。

心が折れたときに立て直す力

厳しい環境は、確かに人を強くします。
ただし、それは
折れたあとに立ち直る余地がある場合に限られます。

心が折れた瞬間に、
・弱音を吐けない
・立ち止まることが許されない
・気持ちを整理する時間がない

こうした状態が続くと、
人は「踏ん張る力」ではなく、
感情を切り離して耐える癖を身につけてしまいます。

一見、強く見えるかもしれません。
でもそれは、
自分の心に鈍感になることで成り立つ強さです。

部活動は、子どもを大きく成長させる力を持っています。
同時に、
育つはずだった感覚を置き去りにしてしまう可能性もあります。

だからこそ、
「部活動は必要か?」という問いに、
一律の正解はありません。

大切なのは、
その子にとって
何が育っていて、何が削られていないかを、
大人が見続けることだと思います。

それでも私は、部活動を「否定」できない

ここまで、部活動の厳しさや、失われる可能性のある力についても書いてきました。
それでも私は、部活動そのものを「不要だ」と切り捨てることはできません。

理由はシンプルです。
あの経験がなければ、今の私はいないと、はっきり感じているからです。

救済措置が増えた今だからこそ考えたいこと

離れる判断の大切さ

令和の時代になり、
・部活動から離れる
・環境を変える
・無理をしない
という選択肢は、確実に増えました。

心や体が限界を迎える前に、
「やめる」「距離を置く」という判断ができることは、
とても健全な変化
だと思います。

我慢だけを美徳にする時代ではありません。

それでも必要な「踏ん張る経験」

一方で、
すべての困難から遠ざかることが、
必ずしも成長につながるわけではないとも感じています。

少し苦しいけれど、
逃げずに向き合った経験。
簡単には結果が出なくても、
歯を食いしばって続けた時間。

そうした経験が、
「自分は踏ん張れる」という感覚を育てるのも事実です。

大切なのは、
踏ん張るか、離れるかを
大人が一緒に考えることだと思います。

部活動が必要かどうかは、子どもによって違う

何を守り、何を育てたいか

「部活動は必要か?」という問いに、
一律の答えはありません。

・心の安定を最優先すべき時期
・挑戦の負荷をかけられる時期
・人との関わりを学びたい時期

子どもの状態によって、必要な環境は変わります。

そのときに大切なのは、
何を守り、何を育てたいのかを大人が言語化することです。


今、その子に必要な非認知能力は何か

踏ん張る力なのか。
自己肯定感なのか。
挑戦する勇気なのか。
人と協力する力なのか。

非認知能力は、一つ育てれば十分というものではありません。
バランスが崩れると、強さが弱さに変わることもある

だからこそ、
「今、この子に必要な力は何か」を考え続ける姿勢が、
何より大切だと思います。

部活動は必要か?私なりの結論

一律の答えは出せない

部活動は必要か。
この問いに、私は明確なYESもNOも出せません。

必要な子もいる。
今は必要でない子もいる。
途中で形を変える子もいる。

それが正直な答えです。

ただし「考え続ける大人」が必要

一つだけ、はっきり言えることがあります。
それは、
部活動をどう位置づけるかを、考え続ける大人が必要だということです。

結果だけを見るのではなく、
頑張りだけを称えるのでもなく。

・その子の心は折れていないか
・土台となる力は育っているか
・無理を強いていないか

問い続ける存在が、そばにいること。


強さだけでなく、土台となる力にも目を向けたい

部活動で育つ「強さ」は、確かに価値があります。
でも、その強さを支える
自己肯定感や安心感という土台がなければ、
長くは持ちません。

強くなることと、削られること。
その境界線を見極めながら、
子どもと一緒に悩み、考える。

それこそが、
今の時代に求められている「部活動との向き合い方」なのだと思います。

部活動を続けるか、離れるか。
踏ん張らせるか、守るか。

正解は一つではありませんが、
判断の軸になるのは「どんな非認知能力を、今育てたいか」です。

非認知能力について、
私なりに整理した考えはこちらにまとめています。

双子の非認知能力とはのアイキャッチ画像 双子の非認知能力とは?3歳から意識したい10の力と家庭でできる関わり方

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