「大学って、本当に行く必要があるのかな。」
進路の話題が出始めたとき、
あるいはニュースやSNSで「学歴不要論」を目にしたとき、
ふと、そんな疑問がよぎったことはありませんか。
実際、高卒で活躍している人もいますし、
「大学に行かなくても生きていける時代」と言われることも増えました。
だからこそ、“行くのが当たり前”とされてきた大学進学に、違和感を覚えるのは自然なことだと思います。
それでも一方で、
「大学に行く意味は、本当になくなったのか」
「行かない選択で、後から困ることはないのか」
と、判断しきれないまま立ち止まってしまう人も少なくありません。
この記事では、
「大学は意味ないのか?」という問いを出発点に、
行く・行かないを二択で決めるのではなく、
大学という選択肢が、今もなぜ残り続けているのかを整理していきます。
誰かの成功談や失敗談に流されるのではなく、
自分や家族の価値観に照らして考えるための、
“判断材料”としての大学進学を一緒に見ていきましょう。
なお、大学進学を考える前に、
双子家庭の教育費全体像(小学校〜大学)を整理した記事もまとめています。
進路を考える土台として、先に全体を把握したい方はこちらからどうぞ。
「大学は意味ない?」と感じるのは自然なこと
― 学歴不要論が広がっている背景
「大学は意味ない」「学歴は必要ない」という言葉を目にする機会は、ここ数年で確実に増えました。
SNSや動画、ビジネス系メディアでは、学歴に頼らず成功している人の事例が多く紹介されています。
そのため、
「本当に大学に行く必要はあるのだろうか」
「高卒で十分なのではないか」
と感じるのは、決して特別な考え方ではありません。
むしろ、進路について真剣に考えているからこそ生まれる、自然な疑問だと言えます。
学歴不要論が広がっている背景
学歴不要論が支持されやすくなっている背景には、いくつかの社会的変化があります。
まず一つは、働き方の多様化です。
インターネットやSNSの普及により、学歴に関係なくスキルや発信力で評価される仕事が増えました。
会社に属さずに働く人や、若くして成果を出す人の存在が、
「大学に行かなくても成功できる」という印象を強めています。
また、大学進学にかかる費用の高さも無視できません。
奨学金という名の借金を背負ってまで行く意味があるのか、と疑問に感じる家庭が増えているのも現実です。
こうした状況の中で、
「学歴より実力」
「大学はコスパが悪い」
という考え方が広がっているのは、ある意味で自然な流れとも言えます。
高卒で活躍している人がいるのも事実
実際に、高卒で社会に出て、第一線で活躍している人はたくさんいます。
早くから現場経験を積み、専門性を高めてきた人の中には、
大卒以上の収入やポジションを得ているケースもあります。
こうした事例を見ると、
「大学に行かなくても道はある」
「学歴がすべてではない」
と感じるのは当然です。
大切なのは、大学に行かない選択が間違いだという話ではないということ。
進学しないことで、早く社会に出られるメリットがある人も確実に存在します。
ただし同時に、
「高卒でも活躍できる人がいる」ことと、
「大学に行く意味がない」ことは、必ずしも同義ではありません。
ここから先は、
それでもなお「大学に行くことで得られるものは何か」
という視点で、少し整理して考えていきます。
それでも「大学に行く意味」が残り続けている理由
「学歴がなくても活躍できる人はいる」
それは事実です。
それでもなお、多くの人が大学進学を選び続けているのはなぜか。
ここでは、「行くべき/行かなくていい」という結論を出すのではなく、
判断するための材料として、大学が持つ意味を整理してみます。
賃金データが示す現実(厚労省統計より)
まず、避けて通れないのが賃金のデータです。
厚生労働省の賃金構造基本統計調査を見ると、学歴による差は、年齢が上がるほど大きくなっています。
厚生労働省資料(令和5年):学歴別にみた賃金
若い頃の差は小さく見えても、
長い時間をかけて積み重なると、生活の選択肢に影響するレベルになります。
ただし、この数字は
「だから大学に行くべきだ」という説得材料ではありません。
大切なのは、
大学に行く・行かないで、将来どんな可能性が開くのか
その現実を知った上で、選択できるかどうかです。
知らずに選ぶのと、知った上で選ぶのとでは、意味が大きく違います。
専門的に学べるということ
高校までとの決定的な違い
大学の学びは、「広く浅く」ではありません。
特定の分野について、時間をかけて深く掘り下げていく場所です。
高校までは、
「何が向いているか分からない前提」で、幅広く学ぶ期間。
一方で大学は、
「興味を持った分野を、腰を据えて考える」時間が与えられます。
この“深さ”は、
将来その道に進むかどうかに関わらず、
物事を考える視点や、問いの立て方に影響します。
社会に出る前の“ワンクッション”という時間
大学には、もう一つ大きな役割があります。
それが、社会に出る前のワンクッションとしての時間です。
この期間は、
・自分は何が得意で
・何が苦手で
・どんな働き方が合いそうか
を、試行錯誤しながら知っていく時間でもあります。
インターンに参加する人もいれば、
失敗して方向転換する人もいます。
一度やってみて、「違った」とやり直すことも許される。
同じ経験でも、
中学・高校の年齢で受け取るのと、
大学生になってから受け取るのとでは、理解の深さが変わります。
この“余白のある時間”そのものが、大学の価値の一つです。
同じ場所で学ぶ人との対話が、思考を深める
大学で得られるのは、知識だけではありません。
同じ場所で学ぶ人との対話が、考え方そのものを深めてくれます。
私自身、夫の大学時代の友人たちと話す中で、
話題の広さや、物事の捉え方の違いを感じることがあります。
それは「人が優れている」というより、
どんな環境で、どんな問いに触れてきたかの違いだと感じています。
人を育てるのは、個人の努力だけではありません。
思考は、環境によっても形づくられていきます。
大学は、その環境を一定期間、意図的に用意してくれる場所でもあります。
では実際に、大学進学にはどれくらいの費用がかかるのでしょうか。
双子家庭を前提に、国公立・私立別で教育費を整理した記事はこちらで詳しくまとめています。
私自身が「大学に行ってよかった」と思う理由(体験談)
私自身、高校生の時点で
「これがやりたい」と明確に決まっていたわけではありません。
進学を選んだ理由も、
将来設計というより、目の前にある選択肢の中での判断でした。
進学理由|スポーツと教職という選択肢
高校時代、私は商業高校に通っていました。
そのため、就職という道も現実的な選択肢としてありました。
一方で、スポーツに打ち込んできた経験があり、
「スポーツが強い大学へ進学する」という選択肢が見えたことで、
大学に行ける可能性があることが、素直にうれしかったのを覚えています。
その中で、
「何ができるだろう」と考えたときに思い浮かんだのが、
中学時代に出会った恩師の存在でした。
漠然とですが、
「あんな先生になれたらいいな」
そう思い、教職課程の取れる大学を選びました。
教育実習での気づき
大学に進学し、教育実習に行ったことで、
自分の適性がはっきり見えました。
子ども一人ひとりと向き合うことは好きでも、
大人数の前で指導することに強い苦手意識がある。
「教師になりたい」という気持ちはあっても、
現実的に続けていく姿が想像できない。
そう感じたのです。
これは、大学に行かなければ気づけなかったことでした。
「向いていない」と分かった経験も、無駄ではなかった
教師という道を選ばなかったことに、
後悔がなかったわけではありません。
ですが、
「やってみて、違うと分かった」
この経験そのものが、私にとっては大きな意味を持ちました。
もし大学に進学せず、
最初から別の道を選んでいたら、
「本当は向いていたかもしれない」という迷いが、
長く残っていたと思います。
進路変更できたこと自体が、財産だった
大学に進学したことで、
一度立てた夢を、途中で修正することができました。
若いうちに、
挑戦して、確かめて、方向を変える。
それが許された時間だったからこそ、
納得して次の進路を選ぶことができたと感じています。
「大学に行ってよかった」と思う理由は、
何か特別な成果を得たからではありません。
選択肢を広げたまま、大人になる準備ができたこと。
それが、今振り返って感じる、大学進学の一番の価値です。
まだ将来が漠然としているなら、大学は「保留できる選択肢」
将来の夢がはっきりしていないと、
「大学に行く意味はあるのだろうか」
そう感じるのは、とても自然なことだと思います。
夢が決まっていない=ダメではない
高校生の時点で、
「これを一生の仕事にしたい」と決められる人は、実は多くありません。
それでも周囲では、
進路希望を書くことや、将来像を語ることが求められ、
決まっていない自分に焦りを感じてしまうこともあります。
ですが、
夢が決まっていないこと自体が、
能力や意欲の不足を意味するわけではありません。
単に、
まだ十分な材料を持っていないだけ
という場合も多いのです。
決めきれない人ほど、選択肢を残す意味
大学進学の価値は、
「何かを決めること」よりも、
**「決め切らずにいられる時間を持てること」**にあると感じています。
大学に進学すると、
- 学ぶ分野に触れながら考える時間がある
- インターンやアルバイトで社会を部分的に知ることができる
- 合わないと分かれば、方向転換ができる余地がある
こうした経験を通して、
「やりたいこと」より先に
「やりたくないこと」「向いていないこと」が見えてくる場合もあります。
それは、決して遠回りではありません。
大学は、
将来を決めきれない人のための逃げ道ではなく、
納得して選ぶための保留期間。
まだ答えが出ていないからこそ、
一度立ち止まり、材料を集める選択肢として、
大学進学を考えてみてもいいのではないでしょうか。
まとめ:学歴は「正解」ではなく「余白」
大学に行くか、行かないか。
学歴が必要か、必要ではないか。
この問いに、
誰にとっても同じ正解があるわけではありません。
行く/行かないの二択ではない
学歴は、
「持っているか、いないか」で判断するものではなく、
どのタイミングで、どんな理由で選ぶかによって意味が変わります。
早く社会に出て経験を積む道もあれば、
一度立ち止まって学び、考える道もある。
どちらが正しい、という話ではなく、
その人の価値観や状況に合っているかどうかが大切なのだと思います。
どんな人生を送りたいかを考える材料
大学進学は、
人生を決定づけるゴールではありません。
むしろ、
- どんな働き方をしたいのか
- 何を大切にして生きていきたいのか
- 自分はどんな環境で力を発揮しやすいのか
そうした問いを考えるための、
一つの材料にすぎません。
学歴そのものよりも、
その過程で得た経験や視点が、
後の選択に影響していきます。
進学の意味を考えると、次に気になるのは
「じゃあ、実際いくらかかるの?」という現実ではないでしょうか。
▶︎ 双子家庭の教育費を小学校〜大学までまとめて整理した記事はこちら
親として子どもに残してあげたいのは「選べる状態」
親としてできることは、
進路を決めてあげることではなく、
子どもが自分で選べる状態を残してあげることだと思っています。
選択肢を狭めないこと。
決めきれない時間を否定しないこと。
途中で方向を変えてもいい、と伝えること。
学歴は、
成功を保証するものでも、
人生を縛るものでもありません。
考える余白を残すための一つの手段。
そう捉えたとき、
大学進学という選択も、
少し違って見えてくるのではないでしょうか。
